どこにでもいるような普通の一般人が、たまに自分用メモを書いてる。

安易な認定で敵を作る人

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先日「リテラはちょっとなあ」と言ってたら、「ネトウヨ」認定を受けた。
実に安易な認定だと言わざるを得ない。
もはや「ネトウヨ」とは「自分と思想が合わず気に入らない相手に貼るレッテル」に過ぎないのではないか。

何せポリティカル・コンパス 0.2 -0.56 のド中道で、過去選挙において比例区はほぼ毎回共産党に投票してきた1私をも「ネトウヨ」だというのだから。

実際問題として、「ネトウヨ」がどういう層を指すのか、その定義すら定まったものが見受けられない。
Twitter あたりでは「ネトウヨ」とレッテルを貼られた者が「どういう定義で言っているのか」と問い、「ネトウヨの定義を要求するのはネトウヨの証拠」と返されている事例まで散見された。
これでは反証可能性がなく、まさに「自分と思想が合わず気に入らない相手に貼るレッテル」だ。

「ネトウヨ」なる言葉で示されるストローマンと、「ネトウヨ」認定を受ける人の乖離について、興味深い図とまとめがあった。作図者は右派のようだからいくぶんのバイアスは差し引くとしても、「ネトウヨ」認定対象がやたらめったら拡大した結果、当初のストローマンと乖離したというのは、実に納得できることだ。

以前、しばき隊だか友達守る団だかについて、目的は手段を正当化しないとの考えのもと、在特会と似たようなものじゃないかと言ったら、左派の人からえらい反発を受けたことがあった。曰く、死ねとか言ってるのはいいのか、と。
まったく論点が違うわけだが、左派の人はこのように「対立しないが賛同もしない者」を批判、というか非難する傾向が強いように思われる。味方にならない者は敵というわけだ。

リテラにはこうした賛同しない者について「中立厨」とまで言って蔑む記者がいる。「厨」とは、どう見たって匿名掲示板レベルの表現だ。それがまかり通ってしまうのがリテラであり、つまりリテラの程度の低さを物語っている。
「リテラはちょっとなあ」と思うのは当然だろう。

安易に他人を「ネトウヨ」と決めつけることは、ただ敵を増やすだけだ。
ましてやそれを行った人物が、言葉について鋭敏な感覚を持っていてしかるべき、文芸評論家とはねえ2



  1. 私は共産主義者ではないし共産党支持者でもないが、共産党が単独で発議ができる程度には議席数がないと「たしかな野党」機能が発揮できないと考えている。 ↩︎

  2. まさに「直情的で感情的で脊髄反射的な」行為じゃないか。 ↩︎

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